昭和から平成に変わった頃、実家の四国から札幌へと車を運んだ。まず明石海峡と跨ぐ橋はなくフェリー。次、京都舞鶴から小樽まで日本海もフェリー。当時ナビは無く旧い道路地図帳を見ながら、何とか船出時刻に間にあった。車を載せ船室へと移動、ひと時の休憩。揺れがひどく眠れない。いざ車を降ろす段、停車場所を忘れ、後ろに控える他車の皆様に怒鳴られながら降車。夏タイヤなのに小樽の天候は何と雪。思案したが、夏タイヤのダンプトラックが出発したのを見て出発。トラブルまみれの初遠距離運転。30年以上前の思い出。兄から乗り継いだ白い日産マーチターボ。バブル時代を共に駆け抜けたこの相棒当時の写真に残るのみ。