「富士山へ行ってみたいわ」と家族と舅の世話で追われる母が言った一言を「僕を息子にして下さい」とその年言った義弟は聞き逃さなかった。体調不良は実感していていた母は口にはしたけれど、旅することには消極的だった。母はそれとは知らされなかった末期癌であったから無理もない。その時自家用車のなかった実家では「そうだね、行ければいいね。」でお終いになるところ、義弟は「具合が悪ければいつでも横になれますよ。」と車で五合目まで連れて行ってくれた。母の笑顔に車のある生活は、夢を実現させる力があることを思い知らされた。私が免許をとったのはその後だった。