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いつの時代も、クルマはみんなの夢だった。 Life is Drive 家族の思い出(父、母のエピソード) 実施期間:2006年12月~2010年3月
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みなさまからご投稿をいただいたコメントの一部をご紹介します。
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タフだった母

私が2歳から小学校6年生までの11年間、我が家の毎夏の旅行先は「海」でした。
長野県出身の私たち家族にとって、「海」とはとても遠いもの・あまり馴染みのないものであり、憧れの象徴のようなものだったように思います。
比較的近いところでは、新潟・静岡、時には紀伊半島や鳥取など、毎年違った「海」が目的地でしたが、毎回そのすべての行程を、当時我が家で唯一の自動車免許取得者であった母がたった一人で往復運転していたことは、今思うともはや感心を通り越し、
「なんとタフだったことか」
とあきれてしまうとともに、私を含めた家族みんなを喜ばそうとがんばってくれていたその大きな愛を感じずにはいられません。もちろん父も、テント設営やバーベキューの準備など、自分も楽しみながら私たちを楽しませてくれました。

そんな憧れの「海」へと向かっていた我が家の愛車は、何度か買い換えましたが、基本ずっと「サニー」でした。後部座席の足元にマットやタオルを敷きつめてつくられた即席ベッドで眠りながら夜中に家を出発し、朝目が覚めた時に車窓の外に広がっている水平線を見た瞬間の感動は、いまでもはっきりと覚えています。私にとって、本当に素敵な夏の思い出です。

大人になった今でも海を見ると理由もなく心が躍るのは、きっとこの小さい頃に連れて行ってもらった夏の旅の思い出のせいではないかと思います。


母はまだ元気ですが、自分でもそろそろロングドライブはしんどくなったと言っています。父もその後免許を取得しましたが、もう来年で定年を迎える歳になってしまい、車の運転は専ら通勤や近所の買い物のみです。
これからは、私がもらった「思い出」の恩返しとして、両親を後部座席に乗せて遠くのいろいろな海へ連れて行ってあげたいな、と思います。そしてそれらが、折り返し地点を過ぎた彼らの残りの人生の中の彩りの一つになってくれればいいな、と思っています(了)。

  26

まっちん さん
(30代・男性)
2008/08/27
初めての親孝行

17歳のとき突然の長期入院2度目の入院のとき死にはぐりましたが母が絶対直してみせると必死の看病の末回復、退院してから高校に復学し22歳で卒業しか技工士学校に入学、1日でも休んだら両親に申し訳ないと必死で学校を卒業、就職二年間働きもっと技術を磨くために次の場所に移るまでの間に両親を小さな1300ccの車で北海道旅行に連れて行きました。
行きの東北自動車道を走りながら母が、看病のベッドの横で絶対によくなって旅行に行こうねと約束したけど本当になったと涙声で話しました。
そして3週間で5500?を走破し利尻島、礼文島まで行き北海道をぐるりと回り帰りはフェリーで東京まで、今でも写真と共にたくさんの思い出を思い出します。
写真を見ると赤の車体が懐かしく、今までいろいろな車に乗りましたが、一番愛着があり記憶に残っています。

  22

occhann さん
(50代・男性)
2007/09/19
僕のタイムマシン

私がまだ小学生だった頃、父はクルマが大好きで近所でもわりと早く自家用車として日産ブルーバードを購入。
ときどき日曜日になると、父と私はいっしょにブルーバードに乗ってどこかへでかけていました。家を出るとき、父はどこへ行くのか教えてくれず、とにかく助手席に座らされて、窓の外の風景を眺めながらドライブへと出発するのでした。

「着いたよ!」

いつのまにか眠っていた私を父は起こしてくれました。

そこは海だったり、山だったり、川のほとりだったり・・・。

そこで遊んでくれました。おいしいものを食べたり、珍しいものをみたり、いろんな思い出を作ってくれました。

「じゃあ、帰ろうか?」

また助手席に乗って、自宅まで帰ってくるのですが、遊び疲れた私は乗ってすぐに眠ってしまい、まもなく家に着く頃。

「もうすぐ家につくよ!」

すでに夕暮れの街はぼんやりと明るい街灯が見えるだけで、どこを走っているのか全くわかりません。今度こそは眠らないで最後までどこを通っているのか知りたいと何度も挑戦しましたが、必ず眠ってしまうのでした。そんな淡い思い出がいまでも忘れられません。

いつも私の父はクルマというタイムマシンでどこか遠くへ連れて行き、帰りもなにか眠り薬でも飲ませてわからないようにしているのだとずっと思っていました。

そんな父ももう80歳を越え、遠出するときは私が運転手となり、両親を乗せて出かけることが多くなりました。案の定、二人とも帰るときにはスースーと寝息を立てて静かに眠ってしまうのでした。

  32

よねちゃんマン さん
(40代・男性)
2007/09/05
大切な場所

俺の実家は定食屋だった。

父ちゃんと、母ちゃんと、ばあちゃんと、家族総出でやってたから、
兄貴と俺は小さいころから結構二人だけで過ごすことが多かった。
そんな俺らをみて、近所のおばちゃんとかが「偉いわねえ。でもさびしいでしょ。かわいそうに」と勝手に同情してくれていた。
でも、俺らはみんなが思う程、寂しくなんかなかった。
毎日すっごい楽しみにしていることがあったからなんだ。

うちの定食屋は出前もやっていた。
注文の電話が鳴るたびに、兄貴と俺はいつも猛ダッシュで店の裏口に走った。
そして、母ちゃんが出前に出かけるのを待っていた。

母ちゃんはいつも車で出前に行く。そして出前に行くときは、俺らを必ず車に乗っけていった。
小さい町だから、そんなに遠くに行くわけじゃない。
せいぜい5分くらいの短いドライブだったけど、この時だけは忙しい母ちゃんを、兄貴と俺で独占できたんだ。
幼稚園での出来事や、兄貴とのケンカの話を母ちゃんと車の中でするのが楽しくて、うれしくて・・・。
母ちゃんも俺らが夢中で話すのを、ニコニコ聞きながら運転していたのを思いだす。

車は小さい頃の俺らにとって大切な大切な場所だったんだ。

  16

ノブ さん
(30代・男性)
2006/12/26
父の想い

京都にある私の実家の駐車場の前には大きな柿の木があります。
その木は、クルマの出し入れの妨げとなるため大きいクルマは停めることができません。
それで、我が家はずっと軽自動車を乗り継いでいます。

ところが、先日、実家に戻り写真の整理をしていたら、軽自動車ではないクルマが1歳ころの兄と一緒に写っているのを発見したのです!

驚いて、母に聞いてみると、私が生まれる前までは、家から2~3分歩いた場所に駐車場を借りて、写真にうつるサニークーペに乗っていたそうです。
そこに、私が生まれ小さな子供が二人になり、家とクルマまでの移動をより安全に、かつ楽にするため、当時自転車置き場になっていた柿の木が立つスペースを駐車場として活用することにしたそうです。

軽自動車への乗換えを余儀なくされた父ではありましたが、雨が降っても風が吹いても玄関からすぐに乗り込める場所にクルマがあることをとても喜んだそうです。
頑固で厳しい父なのですが、大事にしていたクルマと交換に、私たち小さな家族の安全を優先してくれたのだと知り、とても嬉しい気持ちになりました。

  27

けんじ さん
(30代・男性)
2006/12/14
お守り

三年前に父が病気で亡くなりました。
父の死はもちろん悲しかったけれど、事務手続きや親戚の相手に追われて、私も母も泣く暇もなく走り回っていました。
父はどこへ行くにも車を使う人だったので、
お墓には眼鏡と、免許証と、車のキーを入れることにしました。
母が「心配じゃけぇ、車のお守りも入れとこうか」と立ち上がったので、
母に少しでも休んでもらいたかった私は「ええよ、私が行くけぇ。母さん休んどいて」と、お守りを取りに車庫へ行きました。
運転席に入り、ミラーに下げてあった交通安全のお守りを外しました。
なんとなく気になって、お守りを開けてみると、中に古い小さな紙切れが入っていました。
開いてみると子供の字で「おとうさん はよ かえってきてね キャンディーも かってきてね  みきより」と書いてあったのです。私の字でした。
それを見た途端、それまで忘れていた涙が一気に溢れてきました。
それは父が出張へ行く朝に手渡した、私のはじめての手紙だったのです。
前の夜、母に字を教えてもらいながら一生懸命書いた手紙。
それを父は毎日乗る車の中へずっと入れていたのです。

私は泣きながら部屋へ戻り、母を車庫へ引っ張り出しました。
手紙を見せると、母も崩れるように泣き出しました。
「お父さん、いつも早うに帰ってきてくれたねぇ」「お土産もたくさん買うてきてくれたねぇ」
ふたりで父の話をしながら、車の中でいつまでも泣きつづけました。

  68

みき さん
(40代・女性)
2006/12/13
2006年12月から2010年3月に皆さまから「日産 Life is Drive」に寄せられた、エピソードを編集し掲載しています。



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