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いつの時代も、クルマはみんなの夢だった。 Life is Drive 大切な彼、彼女との思い出 実施期間:2006年12月~2010年3月
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みなさまからご投稿をいただいたコメントの一部をご紹介します。
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はじめてのドライブ

主人と出会い、初めて主人の故郷、大分を訪ねた時のことです。

主人は寡黙な人で、行き先を告げず
黙って運転していました。

私は運転もできないし、長時間のドライブで疲れているんじゃないか、交代もできなくて申し訳ないな・・・と思いつつも彼の穏やかな運転でつい助手席でウトウト・・・。寝てしまいました。

はっ!と気がついた時、車がとある駐車場で停まっていました。
もう申し訳ないのと恥ずかしいのとでしどろもどろな私に、外に出るよう促さす彼。

いやあ・・・どうしよう。これでケンカになっちゃったら・・・と思いつつ外に出ると、
そこには雄大な湯布院の景色が広がっていました。
今まで見たことのない景色、一面緑のじゅうたんがひろがったようななだらかな山の稜線と真っ青な空とのコントラストにもう言葉が出ないくらい感動しました。

彼はこの景色を見せてくれるために、長時間運転して連れてきてくれたんだな・・・と感動しました。それなのに、道中寝てしまったりして・・・反省。

でも、彼は怒ることなく、始終穏やかでした。まるでこの景色のように大きな心を持っている人です。そして、彼とは結婚して5年が経ちました。先月2人目の男の子が生まれました。

今年の夏は出かけられませんが、落ち着いたら今度は家族4人で、あの雄大な景色を見に行きたいと思います。

  15

ななっち。 さん
(30代・女性)
2008/08/25
縁を結んだ小さな中古車

私が、社会人1年生になった1988年の夏。
1台の小さな中古車と出会いました。
職場まで自転車で5分の距離にアパートを借り、一人暮らしを始めた私。
就職したててあまりお金のない私は、どこに行くのも自転車か電車でた。
そんな私を見かねてか、職場の先輩が、同じ課の主任に、「あまってた車あったよね。貸してあげたら・・・」と、声をかけてくれました。
その男性は「乗らないとエンジン悪くなっちゃうから、いいよ~。」とあっさり貸してくれました。
それは、小さな中古車でした。
男性は、ペーパードライバーだろうからと、運転の再教習をしてくれました。
クーラーがあまり利きが良くない、小さな車の中、汗だくになって・・・。
その後、お礼に手料理ご馳走したり、その人の車(日産ブルーバード)でドライブしたりするうち、私たちの愛情は深くなり、プロポーズされることに・・・。
そして、その人は今、私の夫になっています。
現在、我が家の駐車場には、仲の良い夫婦が乗る車のイメージがある日産セフィーロと、小さな新車(中は広いですが)、日産ティーダが置いてあります。
小さな車を見るたび、あの夏からの夫の優しさを思い出します。

  7

カンガルー さん
(40代・女性)
2008/08/25
いつかまた・・・

大学を卒業してマイカーを手にしました。吸い込まれるように憧れたフェアレディZ。もちろん親頼みのローンで買いました。嬉しくて嬉しくて仕事から帰って毎日走る日々。男の子が乗る車という人もいましたね・・・東京大雪の日は帰りに困ったりもしましたね・・・でも大好きな車と一緒で楽しかったな・・・。そんなある日、私の勤務する会社に一人の社員が入社しました。無口でノリが合わない様な、いわゆる愛想がない男性。部署も違ったことから余り話すこともありませんでした。
ところが、この方、私と同じ年式・型・色・の車に乗っていたのです。彼も憧れのZを手に入れて入社してみたら同じ車に女が乗ってって愕然としたとか・・・でもそこから私たちは意気投合!運命さえ感じて、結果、その後の遠距離も乗り越えて結婚しました。もちろんZ2台と。夢のようでしたね・・・今日はどっちで行く?とか話して・・・順調な結婚生活に嬉しい嬉しい子宝の報告!でもそれはZとのお別れの報告でもありました。そう、私たちのZは2シーター。チャイルドシートが義務付けられたため買い替えを余儀なくされました。涙で見送った私たちのZ。忘れません。またもや2シーターのZ33を前に、年を取ったら二人で乗ろう!が合言葉です。息子も大の車好き!父さん母さんはZね、俺はGTRと言って私たちを楽しませてくれます。いつかまたそんな日が来ますように・・・。

  12

なまり さん
(30代・女性)
2007/09/20
病院からの帰り

今から10年少し前、毎日少しずつ痛む胸に異変を覚え
病院に行くと、腫瘍がありすぐに手術することになりました。
摘出してみると、良性で大したことはなかったのですが
胸に残った手術のあとと、手術後めっきり体力が落ちて、気持ちもふさぎがちになっていました。
退院の日、我が家には車がなかったので1人でタクシーで帰ろうと病院の出口に行くと
高校からの男友達が病院に来てました。
「今日、退院って言ってたから心配で迎えに来たよ」
心細い私に優しい言葉。
そして、病院の駐車場には彼がボーナスを貯めてお気に入りのスカイラインがとまっていました。
「ずっと病院にいたから、今度はゆっくり温泉にでも行きたいな」
そんなことを話しながら車に乗っていると、車は我が家を過ぎてどんどん走っていきました。
東京を離れ、横浜を通り、2時間後には箱根にいました。
「混浴の温泉にでも入ろうぜ」
そう言って連れて行ってくれたのは「足湯」。
まだお風呂にも入れない私のために、足湯に連れてきてくれたのでした。

今はそれぞれ結婚して年賀状でしか連絡取らなくなってしまったけど
スカイラインを見るとあの時の彼の優しさを思い出します。

  5

みるちゃん さん
(30代・女性)
2007/09/09
カカア天下

 世間はカカア天下一色。
 私たち夫婦も世間の時流にさからわない。
 仕事終わってからくたくたでも女房をマッサージ。
 本来大黒柱の亭主も実際jは間柱。
「パパっ!~」
 食事・洗濯・掃除、まるで専属コンシェルジュである、 
 もちろん外食・洋服・アクセサリー・化粧品の要求も
『なんだよー!!』の心の抵抗もむなしく応じる。
「ね、パパっ!~」
ドキッ、「な、な何ー?」
 「銀座行こー」
 「う、うん。」
こないだもねだられて5万もする指輪を
買ったばかりだった。
日曜午前の東京は空いている。
銀座まで車で20分もかからなかった。
デパートの駐車場から向かったのは
なぜか日産のショールーム
「あーこれが新しいスカイラインなのね。まあまあね」
車にまったく興味のない妻が評論家口調で批評。
「いいよ、これにしなよ。欲しかったんでしょ。」と妻。
先日テレビで流れていたスカイラインのCM。
「渋いな~いいな~」と言っていたのを覚えていたのだ。
躊躇していると
「独身のとき貯めたお金があるから使いなよ。」と妻。
翌月、新しい家族が我が家にやってきた。
近くのディーラーで買ったスカイラインである。
無垢のシートに座りハンドルを握る。
新車でしか味わえない感覚とともに
大事な貯金をはたいてくれた妻に感謝の
気持ちでいっぱいであった。
カカア天下、俺は嫌いではない。

  11

シュウ さん
(30代・男性)
2007/03/24
彼女の笑顔

私は、50歳のときに自分の不注意で転落して頚髄を損傷した。
医師は「今後は車椅子の生活となり手は全く使えない」と話した。妻は憔悴しきっていた。
夫婦でよく登山に行っていた。そこで見る彼女の輝くような笑顔が大好きだった。
どうしても妻の笑顔を取り戻したかった。だからリハビリに励んだ。必死に取り組んだ。
そして1年半後に退院した。不自由な体ではあるが歩きそして字を書けるようにもなっていた。
医師の勧めで車を運転するようにもなった。運転すると体の動きがよくなることを実感した。
しかし1年で腰痛で動けなくなり又大学病院に入院しそして腰の手術をうけた。
退院した後は、外にでることが減り家にこもることが多くなってしまった。
ある時妻が二人乗りのオープンカーを随分前に探していたのを思い出した。
「そうだオープンカーで夫婦で外に出よう。私が運転できなければ彼女が運転すればいい。」
フェアレディZのサイトを検索すると福祉車両のことが載っていた。その心意気がうれしかった。
そして昨年の春に納車された。事故から7年の歳月が経っていた。
昨年の走行距離は4700キロだが妻が運転したのは1度だけ。ほとんど私が運転した。片道
400キロの往復を運転したが腰痛は一切起きなかった。運転することが楽しくてたまらない。
貴婦人は、優しい笑顔で私達を見守るように導きこれからふたりのエピソードを造ってくれる。
事故後に自分の境遇ばかり考えていたら絶望していた。妻のことを懸命に考えたら救われた。
そしてフェアレディZにめぐり逢った。それは再び妻とふたりで外に出る喜びを授けてくれた。
体は不自由になったが以前より幸せを感じるようになった。あたりまえのことに幸せを感じる。
歩けること、手を動かせること。四季の自然の美しさ。他にも山のように沢山ある。
そして一番は妻といつも一緒にいてその輝くような笑顔を見られること。ありがとうございます。

  10

りんご さん
(50代・男性)
2007/01/15
妻とスカイライン

そのスカイラインには、結婚以来15年も乗りつづけた。
家には子供が三人いることもあって、キズだらけの汚れだらけ。
そんなボロ車でも、私には、もう一人の家族のように大切な存在だった。
だがどうにも調子が悪くなって買い換えるしかなくなってしまった。

業者が車を取りにくる前の日、わたしたち夫婦は、少しの時間だけ近所にドライブに出かけた。
妻はダッシュボードの汚れを指差して「これ、お兄ちゃんの落書きが取れなくって・・」と笑った。
「後ろのシートには、真由美がジュースこぼしちゃったんだよね。」
私たちは、昔話をしながらそのスカイラインとの最後のドライブを楽しんだ。
子供が小さい頃よく遊んでいた公園のそばで車を降りると、妻が後ろのバンパーを撫でて笑いながら言った。
「ここのキズは、私が車庫入れを失敗したときね」
「これはお兄ちゃんの友だちが自転車を停めるときに擦っちゃったのよ」
「ここがヘコんでるのは金沢に行ったときに…」妻はどんな小さなキズのことだって憶えていて、あの時、あの時、と続ける。
はじめは笑っていたはずなのに、いつの間にか妻は鼻を真っ赤にして涙を堪えていた。

スカイラインは私たち家族のいろんな表情や出来事を乗せて、15年走りつづけてくれた。
笑い声や泣き声、内緒の話だって聞いてきただろう。
果たして自分は、妻やこの車ほどに家族のことを見てきただろうか。
私は妻の肩を抱いて「今まで本当にありがとう」とスカイラインに、そして妻にそっと頭をさげた。

  36

スカイラインLOVE さん
(30代・男性)
2006/12/12
2006年12月から2010年3月に皆さまから「日産 Life is Drive」に寄せられた、エピソードを編集し掲載しています。



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