私に慶びの意味から慶子と命名した父。その父を乗せてドライブに出たらスピードが出過ぎと注意された19歳の私。間もなく反対をもろともせず家を出て東京へ。サニーの助手席に乗ってマザー牧場までドライブした20歳の春。そのまま反対を押しきって結婚し娘を授かった22歳の冬。スピード違反のような人生を駆け抜け、父の最期に立ち会えた54歳の夏。七夕の提灯を持って練り歩く浴衣姿の子供達を、遺骨になったまだ熱い父を抱いて葬儀屋さんの車の窓から眺めながら帰宅した夕暮れ。ありがとうお父さんと言いそびれたけど、今は車も人生も安全運転だから大丈夫、安心しててねと、何度も悲しませた父に伝え暮らしています。